悪いやつだな

悪いやつだな

自分で自分を 「悪いやつだなー。心根の醜いやつだなー。」 と思うことが良くあります。自分を信じてくれている人間を「ここで裏切ったらいったいどんな顔をするだろう」 と想像すると、愉快な気分になることがあります。 こういうことを公言すると、 心優しい人々は困った顔をします。 けれど、こういう情報って大切だと思います。
その人の邪悪さが適切に開示されているならば、 その「邪悪さ」の被害を最小限に留めることが出来るからです。
これが逆に「自分は善良な人間である」と信じ込んでいるのであれば、 邪悪さについての情報は一切開示されることがありません。
他者にかける迷惑について自覚することもないのだから、 管理することが出来ません。 より他人に迷惑をかけるのは、後者のタイプです。 もし「邪悪さ」という概念が「他者にかける迷惑」という外形的なデータで示されるのであれば、
「邪悪な人間はあまり邪悪でない」というパラドクスが生じますね。
はたして「邪悪さ」とはいったいなんなのでしょうか。
それは、1人の人間についての「物語」のキーワードです。 僕たちは、何かについて知ろうとするとき、 それについての「物語」を語ることによってしか知ることが出来ません。 「自分」について知ろうと望むのであれば、「自分」についての「物語」を語ることなしには一歩も進むことが出来ません。
「私の真実」を知るためには、 「私についての物語」を紡ぎ出す作業から始めなければなりません。